6年前まで将来日本語の教師になろうと私は一度思ったことがなかった。
大学3年生になった時、自分に教師という仕事が合うのかどうか興味を持っていたので、バイトとして近所の中学校の2,3年生の子供たちに英語を教えてみた。真面目に教案を作ったり、子供たちに分かりやすいように、どう伝えたらいいか考えたりとても楽しかった。知らず知らずのうちに教材を作るのが私の趣味になっていた。教師は本当に面白い仕事だなあと思い、教師になりたいと思った。
それでも当時私にとって大学の教師になるのは難しかった。なぜかというと大学に採用されるためには成績は優秀ではなければならなかったからだ。そんなに立派ではない私にとってそれはあり得ないことだろうと思った。
日本語の教師になる夢を諦めて、日系企業に入るか、ツーアガイドになるか、と思っていたら、まるで夢のように訪れてきたその雨の日を、私はよく覚えている。
ある先生に「部長があなたと話したいことがあるそうです。すぐに事務所に言きなささい」と言われた。「何かありましたか」と私は目を見開いて、先生に聞いてみた。「いえ、私は伝えるだけなので、もっと詳しく知りたかったら、部長に聞いてみてね」その先生は真面目な顔で答えた。教室を出て、部長の部屋に向かっている道を通じて、自分が校則に違反したか失礼なことをしたのではないかすごく心配していた。
夏のどしゃぶり雨の日だった。
しばらく部長の部屋の前に立ってからドアをノックすると、部長が「入ってください」と言った。失礼します、と入った私はまだドキドキしていた。
「教師に成りたいですか、希望があれば、もっと頑張って勉強してください」、「あなたが努力するのを私は楽しみにしている。」部長はいつものように‘クール’な顔と優しい声で言った。嬉しくて嬉しくて大声で叫びたいくらいだった。
その時から毎日コツコツ努力したり、せっせと勉強したりした。やっと目標とした成績より高い成績が取れるようになった。
卒業してから、この大学に採用されて、日本語学科の教員になった。日本人の先生の指導の下で、1年生に会話、二年生に読解を教えている。それから、既に2年ぐらい経った。
教える時には楽しいことが多いと同時に困ることも少なくない。日本に興味がある学生に日本の言語と文化を伝えることができて、何よりも幸せだと私は思う。ところが、まだ若く、教師としての経験も浅い私は自信を持って教えられない時もある。学生の質問は簡単に答えられそうだけど、分かりやすい説明を求められた時、うまく説明できなかったり、いつも授業の流れに悩んでいる。
その経験や失敗のおかげで、いつかの間に自分の考えが少しずつでもしっかりするようになって来るのが分かった。教師というのは教えるだけではなく勉強もできるということで時々学生の立場に立ってみると、私自身もやはりその教え方が分かりにくかったが、授業の流れはめちゃくちゃであったか気が付いた。そのため、これからもっと頑張りたいと思う。
学生に知識を伝えるのは教師の重要な役目だろう。しかし、私が学生に一番伝えたいことは「自分の恋人と同じくらいに日本語を愛してください」だ。日本語のことわざの中には「好きこそ物の上手なれ」がある。それは「好きなればこそ、飽きずに努力するから、ついにその道の上手となる」という意味である。
みなさんはどう思いますか。
2009年10月13日火曜日
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人に教えるということは、責任も大きいですが、魅力的な部分も大きいですね。ゴックさんもその魅力を発見したんですね。「好きこそ物の上手なれ」ですから、教えることを自分の恋人と同じくらい愛することは、ますます教え方が上手になることに通じますね。でもその中心には必ず学習者がいることを忘れてはいけないと思います。
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